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東京 深大寺 [仏像]

2009年6月20日

浮岳山 昌楽院 深大寺

武蔵野国、唯一の白鳳仏が鎮座している深大寺を訪ねる。
調布には国府のあった府中市にも隣接し、石器時代からの遺跡も残っている。
以前は武蔵国の中心であり、多くの人々がこの地に住み着いていたことが分かる。
深大寺の建立地は、武蔵野台地の丘陵に差し掛かる場所にあり、
段差を生かし、水を台地に引くための要の地に選んで建てられたのだろう。
水信仰の場合、龍神、十一面観音を奉る例が多いが、
ここでは深沙大王(じんじゃだいおう)を奉っている。
元々はこちらが本尊だったのではないだろうか。
像は秘仏となっており、異形の相をしているそうである。
また、参道前の道には湧水から2本の滝があり、
後世だろうが不動明王の石仏が設置されているのは目黒不動尊と同じである。

深沙大王を奉る深沙堂。
天井にはおそらく龍の絵が描かれていると思われる。
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参道にはたくさんのお土産屋さんが立ち並ぶ。
そのほとんどが蕎麦屋さんだから、蕎麦好きな者にはたまらない。
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最初に文久年間から創業しているという「元祖嶋田屋」で「もり」を食す。
たれが少し甘いが、麺は腰もあり美味しい蕎麦屋のレベルは十分ある。
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深大寺の山門。元禄8(1695)年の建立。
一間薬医門、屋根は切妻造で茅葺である。
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開山堂から薬師如来座像を写す。昭和53年再建。
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銅造釈迦如来倚像(重文)

白鳳時代の銅造による釈迦如来像である。
制作は7世紀末と言われている。
それは天武・持統朝による詔、「諸国に家毎に仏舎を作り~」(天武14年<685>)
が発布された時期であり、地方に造仏が拡がった時と重なっている。

結跏趺坐ではなく、両足を前に投げ出したモデルは珍しい。
左右対称であるが、右足の開きに少し角度があるようである。
同じ白鳳時代を代表する薬師寺の聖観音に比すると、
全体の力強さと繊細さでは、やはり中央と地方の差を感じるが、
新薬師寺の香薬師像、興福寺の夢違菩薩や伝橘夫人念持仏にも似て、
顔はほのかに笑みを浮かべ穏やかで仏師の気は十分に感じる。
眼はかなり長く顔の端まで真直ぐに描く。
また足の衣文線を交互に描き、裳懸座の模様も、
飛鳥時代に比較してかなりおとなしい。
衣文は上から五本は立体感を出すために二本で描かれており、
螺髪はなく、鉈彫りのような削り方を銅で表現している。
また、耳は左右に拡がるのが特徴。
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梵鐘(重文)
南北朝末期永和2年(1376年)山城守光作の銘が刻まれており、
都内で2番目に古いそうである。
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神代植物公園(じんだいしょくぶつこうえん)

深大寺の裏には広大な植物園があるので立寄る。
たくさんの種類の薔薇が咲いていた。
残念ながら広すぎて半分ほどしか回れなかった。

植物園に残される武蔵野の面影。
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大温室を望む。また建物内での花を写す。
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白い葉は珍しい。葉脈が黒っぽい。
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睡蓮
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色鮮やかな睡蓮。
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最後にもう一軒のお蕎麦屋さんに寄る。
植物園から出たところにあった松葉茶屋のもり蕎麦。
こちらの味の方が好みにあっていたと思う。
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