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東京世田谷 浄真寺「九品寺おめんかぶり」 [仏像]

2011年8月11日
九品仏浄真寺

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(仮)神奈川見仏 大磯、二宮、足柄 [仏像]

善福寺

阿弥陀立像-鎌倉-県指定
伝了源坐像(寺伝親鸞聖人像)-鎌倉-国重文
横穴式古墳7世紀後半から8世紀始め頃

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慶覚院

地蔵-鎌倉-県指定
千手-平安後期-町指定(12年に一度、子年春開帳の秘仏)
仁王-町指定
その他、旧高麗寺の毘沙門天・白山権現像・薬師三尊・不動等

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王福寺

行基の創建
薬師-平安前-国重文 カヤの一木造り白毫は後補
脇侍日光・月光両菩薩像、十二神将像

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茶屋薬師堂

木造薬師如来坐像-江戸-町指定
※丈六 川勾神社の本地仏 像高は261.5センチ

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日影公民館

阿弥陀如来立像-平安後期-市指定
151cmの一木造りで、頭と胴は一本の木で作られている
五智如来-室町 右は阿弥陀如来、阿しゅく如来座像、宝生如来座像
地蔵坐像-室町

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玉峯山 長泉院

曹洞宗 五百羅漢

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朝日観音堂

聖観音-平安-県指定 130センチあまり。一木造
両手先と足先は後補。また表面の補彩も後補
兜跋毘沙門天-平安-県指定 160センチ余一木造

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保福寺

薬師-藤原-県指定 50センチ一木造、内ぐりはほどこさない
十一面-藤原-県指定 一木造であり、素木で、内ぐりも行わない。
像高は約160センチ。行基作

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京都 大原三千院 [仏像]

2011年6月20日(月)

大原三千院

急遽、京都市内にいる時に、今から三千院に行くと決めたため、
カメラさえ持ちあわせておらず、手持ちのスマホで撮影。
せっかくの雨上がりで、緑も綺麗だったのにとても残念だった。
紫陽花の咲き具合も、まだ三分咲き程度だったのも惜しかった。

三千院は、青蓮院、妙法院とともに天台宗の三門跡寺院と呼ばれる。
青蓮院門跡は一度訪ねたこともあり、
建物内も含め皇室を迎え続けたと思わせる匂いがあった。
しかしながら三千院内は、青蓮院ほど強く皇室色が残っている感じはしなかった。

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紫蘇畑。大原は紫蘇で有名でドレッシングなどのお土産も多い。

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三千院に向かう参道。駐車場から意外と距離があった。

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参道にあった大原女がお出迎え

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阿弥陀三尊が挫している阿弥陀堂

阿弥陀三尊坐像(国宝)

平安時代後期の作。丈六の阿弥陀如来を中心として、
右手に勢至菩薩、左手に観音菩薩が坐る。
両観音は膝を少し開き、上半身を前屈みにし、すぐにもお迎えに出られる態勢。
その姿勢に動きを感じるといわれる。

が、やはり好みの問題に帰するだけだが、
どうも平安後期の仏像は私の琴線に触れない。
豪華だし優しいお顔をしているし、何に文句があるのかという所だが、
誤解を恐れずに言うと、単にノペっとした印象のみで、
「丁寧な彫刻」以外に感想が無い。
確かに死を迎える段階で、荒々しい顔の阿弥陀様が迎えに来るよりは、
このような美しいお顔をされた仏様に来迎された方が嬉しいだろうとは思うが。

宇治平等院を代表するように、
この時期は富裕層のみ救われるために造られた、仏閣の大量生産時代でもある。
だとするとその知識が、素直になる心を邪魔をしているのかも知れない。とも思う。

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緑が映えて綺麗だったが、スマホのカメラだとこれが限界・・・。

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石仏(鎌倉時代中期)

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これも阿弥陀堂。ピンぼけした(涙)

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帰り道に見つけた大原女の石仏

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御朱印

ところで、他にも見所の仏像があった筈だがどこにあったのだろう・・・
境内図を改めてみると、宸殿という建物には入ってないかもしれない(涙)
時間も無かったので仕方がない。
観音堂では紫蘇ジュースを頂戴し、出口近くでは梅昆布茶を頂いた。
とても美味しかったです。

学生の頃は、この367号線を使ってよく琵琶湖に行っていたが、
その途中に大原があることを意識したことも、もちろん寄ったことすら無かった。
長年の謎が解けた思いである。
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鎌倉 明月院と浄光明寺万灯会 [仏像]

2011年6月11日(土)

鎌倉にある浄光明寺にて、「東日本大震災追悼慰霊祭」が開催される事を、
ご住職自らのツィートで知り、これは是非とも参加せねばという気持ちと、
夜間にあの阿弥陀如来像と観音菩薩・勢至菩薩が拝めるシチュエーションに惹かれ、
紫陽花の撮影も兼ねて現場に向かった。

福源山 明月院

(1)EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM
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鈍よりとした曇り空が覆う、谷戸の景色

(2)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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草緑と雫

(3)EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM
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方丈前の庭園

(4)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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石畳と紫陽花

(5)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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縁を紫色で纏った、珍しい紫陽花

(6)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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花にうずくまる兎

(7)EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM
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竹林の空

(8)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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水を浮かせ、弾く花弁

(9)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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檻に入れられた花

(10)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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赤に染まる水滴


泉谷山 浄光明寺 『東日本大震災 追善読経と万灯』

17時過ぎに万灯会に火が入り、始まったことを静かに知らせる。
暗がりが迫るにつれ、境内の通路に沿って火が灯る景色は美しい。

19時前に護摩堂では護摩を焚いた供養が始まった。
私も初めて祈りながら護摩木をくべる経験をさせて頂いた。

(11)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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万灯会には多くの祈りの言葉が添えられていた。

(12)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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本堂の仏像 光背の影が一回り大きくゆらめき、
数多くの祈りを受け止めているように見えた。

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護摩壇で続く読経

(14)EF-50mm F1.8 II
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祈りの炎が燃え続ける護摩壇


真言宗、 臨済宗、日蓮宗の三宗の読経が、各お堂の中で読まれる。
東日本大震災で被害にあわれた方々への供養。
多くの祈りが夜空に響き渡る。
この祈りが生き延びた方々への応援歌にもなればと願う。
貴重な経験をさせて頂いた事にはただ感謝しかない。

すべての行事が終了し、鎌倉駅に向かう途中で、
地元の方々が何やら小川を覗き込んでいるところに出くわす。
何をしているのか尋ねたところ、蛍が光ってるよ、と教えてもらった。
雨上がりで湿気がある晩が、一番活動するそうである。
5~7匹程度だが、確かに淡い光を点滅させていた。

<追記>
その晩の事。
明け方近くまでご住職自らが、
フォロアーの方々一人ひとりに、お礼のツィートされていました。
驚きと共に、人を動かす力は心遣いと行動であると改めて思った。


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静岡 願成就院、成福寺、北条寺 [仏像]

2011年5月7日(土)

伊豆の国市

(1)EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM
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09年9月に横須賀の浄楽寺を訪ねた後に、
すぐに「伊豆の願成就院へ行こう、運慶の制作時期が近いものを比較したい」
と思って調べると、願成就院の本堂修理で09年中は拝観不可とのこと!
その時の勢いが失せてしまい「またいつか」と諦めてから2年が経ってしまった・・・

そして今年の4月頃からtwitterで知り会えた、
仏像大好きな方々によるGW中の活動報告が、次々にTL上に表れるにつれ、
どうしようもなく気持ちがソワソワしてきてしまい、
一番会いたいと思っていた、願成就院に行くぞ!と、
勢いに任せて、横浜9時24分発の伊豆踊り子号に乗り込んでしまった

いつもGWはキャンプ、ハイキングに見仏を組合わせて滋賀県に行っていたが、
今年から無くなったので、どうしようかな~と悩んではいたけれど。
なので今回は本当に衝動的で何のプランも無く、
その後のことは伊豆長岡駅に着いてから考えようと。

10時56分、伊豆長岡駅に到着。
で、考えるはずが、何も考えずに願成就院に向かって歩き出す。止まらない・・・
寄るはずだった真珠院も気付かず通り過ぎ、気付いても戻れず、
願成就院の看板を見つけて、そのまま門をくぐってしまった。

(2)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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高野山真言宗 願成就院

お寺のすぐ裏には守山という小さな山が控えており、
山の反対側に伊豆半島の中でも大きな狩野川が流れている。
繁栄した当時には、麓にも山中にも伽藍があったのだろうと想像させる。

(3)EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM
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拝観者は私一人。
和尚さん自らお寺の創建、仏像についてお話をして下さった。

願成就院は県内でも名刹の一つで、
頼朝、時政による奥州征伐の戦勝を祈願して建立され、
その後の戦乱で荒廃したとのこと。
仏像に関しては、当初は阿弥陀三尊で観音と勢至菩薩のニ体は失われ、
現存するのは五体のみと言う事と、制作年、運慶が35歳頃の作品、
江戸時代に修理されている、印相が不明な事などを丁寧に説明して下さった。

<阿弥陀如来像>重文

正直、自宅で写真を眺めていた時や、この収蔵庫に入った時でさえも、
真っ先に両脇侍像に目がいき、ご本尊にはそれほど興味がなかったのである。
しかし全てを見終わった後に、改めてこの阿弥陀仏と向き合っていると、
すっと心に入ってきたのには驚いた。
その途端に、あのふっくらした頬と若干中央によったおっさん顔(失礼!)が、
とても安らかな寝顔をした赤ちゃんの顔に見えたのである!

阿弥陀坐像は寄木造、彫眼、漆箔で高さは143.5cm。
元は玉眼だったらしい。
だから運慶制作当初と今では、かなり印象が違うものになっているかもしれない。
ただ運慶後期の制作では、如来は彫眼のみになっているようなので、
私としては後補としてもこの仕上げは悪くないと思えた。
全体の特徴はがっしりした体躯、頬の膨らみと、衣紋の彫りの3点だろう。
結跏趺坐の姿勢をしているが、像の位置が少々上にあるため、
膝上あたりの彫りが良く見えないのがとても残念だった。

見える範囲で特徴的だと感じたのは、左腕の袖部分が裳掛まで垂れた、
天衣のような納衣のデザイン、処理である。
この太い2枚の帯筋が、右足の緩やかなカーブに刻まれた深い彫りの裳から、
この帯に沿って一度奥までもっていき、
渦巻き方向への強い流れをさらに加速させる効果を生み出し、
右足の急激な彫りの流れを生み出すようにデザインしたものと思われる。
まるで阿弥陀世界の風を巻き起こしているかのようだ。
それは六波羅蜜寺にある、地蔵菩薩と処理と類似しているとも思った。

<毘沙門天像>重文

「お見事!以上!」

としかいいようが無い造形だと思う。
背中の筋肉、どっしりとした重量感、まるで中身があるかのような造形。
でありながら、鎧の一分まで隙のない丁寧な仕上げ。
しいて不服を述べれれば、靴が全体に比べてもう少し大きくても良かったのでは?
と、邪気にもう少し特徴があっても良かったのでは?の幼稚な意見の2点である。
運慶の毘沙門天はここに完成したと言っていいと思う。

<不動明王像>重文

美しい。
浄楽寺の不動明王と違い、各個のバランスは完璧と言っていい。
手の膨らみに運慶仏の特徴の一つがあると思っているが、
この不動明王も毘沙門天もふくよかな手をしている。
また、同じような巻髪をしている不動明王があるが、
こいつはなんて全体のバランスがいいんだろう、処理がきれいなんだろうと
思うほどまとまっている。(まとまり過ぎの感もあるが)

「運動」に注目すると、両足を広げた間に広がる裳の、
その中央下に向かう力である。この垂下する力、大地へ密着する力こそ、
この不動明王の根源力と見た。

<制多迦童子像><矜羯羅童子像>重文

言いたいことは幾つもあるが、
間違いなく「八大童子の原型」を見た気がする、
ということである。

個人的な運慶仏の楽しみは、
何かアンバランスさを潜ませていることだと思っている。
浄楽寺では不動明王の腕と手など。
今回は、阿弥陀仏をはさんで、
毘沙門天と不動明王動が左右対称にあることに注目してみると、
毘沙門天はどっしりとして遠くを見ており、
不動明王は力を集中し近くを見ている。
「阿弥陀仏」と「毘沙門天+不動明王」の対比でみると、
この2体はリアルで現実。阿弥陀仏は少し現世から少し乖離しているなど。
まあ、勝手な思い込みではあるのだが・・・。
意外と、運慶の造仏におけるポリシーはアンヴィバレンツではなかったかと、
想像してみるのも楽しいものである。


晴雲山 成福寺(真宗大谷派)

元寇の役に対応した執権、北条時宗。その子息である正宗が建立した寺と伝わる。
本尊は阿弥陀如来像である。

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<阿弥陀如来立像>

(5)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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寄木造、漆箔の鎌倉時代の像である。
後世に彩色されたため、全体は真新しい印象を受ける。
典型的な与願印である。お顔も綺麗な顔立ちをしており、
鎌倉時代というよりも、平安期の京都のお寺に置かれていてもおかしくない。
それほど中央の仏師が造った香りがする。
指先もとても丁寧に作られており、恐らくこれは院派の系統だろうと思う。


北條寺(臨済宗建長寺派)

ここは拝観のためには電話予約が必須のお寺である。
この日はご住職もたまたまご在宅で、突然お訪ねしたにも関わらず、
快く拝観を受け入れてくれました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。

(6)EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM
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和尚さんのお話によれば、狩野川はあばれ川で、
平野のあちこちに流れを変えて、氾濫を繰り返していたらしい。
頼朝が流された蛭ヶ島も、今は普通の陸地だが、
当時は河州の中にあったであろう事、
そして川向こうにあった北条館と北条寺は陸続きだったそうである。

<阿弥陀如来坐像>県文化財

(7)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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桧材による寄木造、玉眼、像高66.7cm。
寺伝によれば、運慶が3年の月日をかけて制作されたとあり、
その仕上がりは金泥細金の彩色だったそうである。
確かにこれは慶派と思わせる仏像である。
どうも私は裳の動きに捕らわれるらしい。
この阿弥陀の湾曲具合もなかなか素晴らしい物がある。
願成就院の阿弥陀仏とは処理が違うが、左手の裾から伸びた法衣の処理が、
幾重にも重ね、左足の裳掛と同化している。
また、他の阿弥陀仏と同じ処理なのだが、白毫と肉髻珠が同じ素材?なのか、
やけに目立って、ウルトラビームの出口?が2つあるような、
ちょっと違和感を感じた。

<観世音菩薩坐像>

(8)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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桂材の寄木造、黒漆、玉眼、像高47.7cm。南北朝時代。
一目見た瞬間に「水月観音だ!」と心のなかで叫んでしまった。
確かに宝冠など付けていないし、全くの別物ではあるがなぜかそう感じてしまった。
細かく見ると、左足の太さが少しバランスを欠く気もするが、
お顔は秀麗で美しい。宝髻を高く結んでおり、裳掛もボリュームがある。
なぜか、右手が見えない造りである。腰脇に下ろしているそうであるが、
手からの慈悲が大事な仏像で、手を表に見せないのは珍しいのではないだろうか?

北条寺の庭にて
(9)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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横須賀 浄楽寺、天神島と立石公園 [仏像]

2009年9月5日

一ヶ月前に予約を入れて、ようやく浄楽寺を訪れることが出来た。
以前、関東では無いと言われていた運慶作の仏像がここにある。

昭和34年に久野健(くのたけし)氏が、毘沙門天像の体内から木札を見つけ、
そこに文治五年(1189年)大仏師運慶が、小仏師十人を従えて作ったと書かれており、
不動明王像からも同じ納入物が発見されたことで、運慶の作であると認定された。

当時、運慶が興福寺関係の僧であることは判明していたが、
この木札には塔頭の名前までも記載されており、
後世では分かり得ない記述があった。
また、大仏師になった時期も不明確であったが、
文治五年には大仏師の地位にあったことが明確に記されていた、
この発見に興奮している様子が彼の著書「仏像」に書かれている。

制作時期としては、円成寺にある大日如来像が20歳頃の作品と言われており、
ここ浄楽寺の作は30代の作と考えられている。
静岡にある願成就院の諸像より4年後の作になる。

大御堂 浄楽寺

久野氏の著書で見た本堂の写真とはかなり変わっている。
屋根も茅葺から瓦になっている。おそらく建て替えられたのだろう。
(1)EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM
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<阿弥陀如来像>
螺髪は小さいが高さがあり先が尖る。額は小さい。
頬を立体的に張りださせ奥行きを作り出すことに成功している。
特徴ある唇の形も立体化に寄与している。
肩から二の腕までの膨らみをきれいに肘まで持っていく技術、
また運慶の特徴とも呼べる手の厚みがよく出ており、
慶派のリアリズムは、仏像と人々の距離を無くしていく役割を、
担わせているように思える。
この像で一番素晴らしいと思ったのは、
左足の膝頭から右肩にかけて彫られた衣文の流れである。
この衣文の深さを自由自在に操っている技術に驚くと共に、
この角度から運慶も覗き見て「良し」とつぶやいた気がした。

<勢至菩薩(左)と観音菩薩像>
左右対称に作られた勢至と観音菩薩像である。
しかしながら、明らかに左右の勢至菩薩は、
違う仏師によって彫られたと思われる。
足指の表現、再現さに大きな違いがあり、左の勢至菩薩に比較して
観音菩薩は持物を持つ指先にまだ藤原時代の名残が見える。
また衣文の彫りも浅く、慶派の特徴である豊かで柔らかい手が、
若干薄い気がする。
写真で見るだけでは分からないが、唇の立体性も勢至菩薩の方が、
厚みがある。
どちらも阿弥陀像側の足を曲げるが、曲げた足の裳と反対の裳で、
ひだの厚みを変えている点などは、
大仏師である運慶の指示であったろうと思われた。

<毘沙門天像>
顔の彫りが素晴らしい。
スタイルも東寺の四天王像に比べてすっきりとした印象を持つ。
怒りの顔も抑えつつも、頬から顎にかけての力強さは意思の強さを表している。
やはりこの像の手も繊細に作られていることを感じる。

<不動明王像>
最初の印象はアンバランス。とくに肩から二の腕にかけてのたくましさと、
手首から先が赤ちゃんの手のような小ささ。
それは足にも表れていて、甲が異様に高く足の長さは短い。
つまり子供のような体型を元に内側からこみ上げる怒りを、
筋肉の盛り上がりで表現したかのようだ。
ただの筋肉質の像に仕上げていないところが運慶らしいと感じた。

細かい部分にまで手を抜かず、肌部分には繊細なまでに膨らみの曲線を追い求め、
衣文の襞にはその深さだけを求めず、
徹底的にライン全体をあらゆる角度から整えていく技法が、
運慶のすごさだと改めて思った。

天神島(佐島公園)

浄楽寺をでて天神島に向かった。
海洋動植物の宝庫として貴重な場所だそうである。
岩礁で周囲を覆われた小さな島で30分もあれば一周できてしまう。
宮崎県や和歌山にある鬼の洗濯岩と言われる程の規模はないが、
それなりに波によって作られた造詣が楽しめる。
(2)EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM
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天神島沖の岩礁に休むウミネコたち。
(3)EF200mm F2.8L USM
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岩礁2
(4)EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM
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ハマカンゾウ(浜萱草)の花と奥には江ノ島。
(5)EF200mm F2.8L USM
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立石公園

佐島の大楠漁港からバスに乗り立石公園へ。
予定ではこの漁港でおいしい魚を食べるつもりだったが、
お腹が減っておらず、残念ながら今回は断念する。
魚を扱っているお店には、たくさんの買い物客が集まっていた。

安藤広重が『相州三浦秋屋の里』を描いたことで有名な景勝地。
立石とぼんてんと呼ばれる岩場の間に富士山が見えるそうで、
落日の絶好ポイントとなっているそうである。
この日は残念ながら富士の姿は拝めなかった。
(6)EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM
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立石を砂浜から写す。
約25000年前に積み重なった地層が固まり、波に削られて出来上がったもの。
地質は凝灰岩で、高さ約12m、周囲約30mとある。
(7)EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM
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「ぼんてん」の岩礁と自生する松。
(8)EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM
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岩礁で素潜りの準備をする男。
(9)EF200mm F2.8L USM
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ハマカンゾウとぼんてんの岩礁。
(10)EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM
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立石の夕景を撮影すべく待つかどうかが悩んだが、
他の人と同じ写真を撮っても仕方ないかと思いバスに乗り込んだ。
帰りのバスから何気なく外を見ていると、
逗子駅近くで知り合いが歩いているのを発見!
思わず「今ここ」電話をしてしまった。

今回の撮影でEF-S10-22mmはEF-S17-85mmに比べて、
逆光にかなり強いことが分かった。
EF-S17-85mmは本当に逆光が苦手で、撮影するのに一苦労していただけに、
逆光に強いレンズを手に入れたのは心強い。

東京国立博物館で10月12日まで、
「二体の大日如来像と運慶様(うんけいよう)の彫刻」を開催している。
これも期間までに行かなければ。
海外へ流出騒ぎでニュースにもなった真如苑蔵の大日如来が展示されている。
他に康円(運慶の孫)作で神護寺の愛染明王坐像に会えるのが楽しみである。
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東京 無量寺、旧古河庭園、六義園と巣鴨 [仏像]

2009年6月27日

仏宝山 西光院 無量寺

関東にある仏像巡りをする中で、
東京都内にも平安時代の仏があると知り訪ねてみることに。
ここには阿弥陀如来坐像(平安時代後期)、不動明王像、
恵心作と伝わる聖観音の3体の仏像が安置されているはずである。

京浜東北線で上中里駅に降り、平塚神社横の坂を登る。
無量寺に至るまでの道は、江戸の道を残すかのように細く、
入り組んでおり、左側は旧古河庭園の壁が続いていた。

お寺は小さいながらも綺麗に整えられており、
境内には植木職人さんが枝を刈りこむ音が響いていた。
周りを見回すが、お寺の人の姿は見えない。
左の建物に呼び鈴があり、それを押すと女性の声で応答があった。

仏像の拝観希望を述べると、なんと一般公開していないとのこと。
では、と御朱印をお願いすると、信仰がないものにはお断りしているとの返事。
たまにこのような回答をする寺院があるが、では信仰とは何かと返したくなる。
仏像を通じて仏師の創造力を感じ、作られた当時の背景・思想を感じている訳で、
単に健康祈願、弘法さんの助けを願うだけが信仰ではないだろう。
仏像への信仰はあると思い、その証明は必要だと思い朱印は書いて頂いた。
残念ながら本日の見仏はここで強制終了となった。

無量寺の本堂
(1)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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境内にある石仏
(2)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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旧古河庭園

この土地は、幕末には海援隊に所属し、
明治に外務大臣として活躍した、陸奥宗光が所有していたが、
彼の次男が古河財閥の養子になり、古河家が継いだそうである。
残念ながら当時の建物は残っていないそうである。
今残っている建物は鹿鳴館、ニコライ堂、旧岩崎邸の洋館を手がけた、
ジョサイア・コンドルの建築である。
建物内の見学は、往復はがきでの申し込みが必要なので、
外からしか楽しむことが出来ない。

石造りの洋館と薔薇。
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茶室を遠望する。
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日本庭園、心字池の石を写す。
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洋館を横から見る。
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六義園(りくぎえん)

元禄時代、将軍綱吉のゴマすり?だった柳沢吉保の庭園。
明治になり、岩崎弥太郎の別邸になっている。
どれだけの冨が岩崎家に流れ込んだのか、ちょっと創造を絶する。
都内だけで、彼が買い取った庭がいくつあるのだろうか。
訪ねたことのある深川の清澄庭園、上野の旧岩崎邸もそうだった。
以前の会社の近くにあった北品川の三菱開東閣も彼の家だったはず。

ここは旧古河庭園と比べてもかなり広い。
トラッキングであれば、近郊の山に行かなくても、
幾通りかの道を回れば、この庭で事足りてしまうくらいだ。
ちなみに旧古河庭園は約9,327坪、六義園は約26,608坪で、
2.8倍程の広さがある。

心字池と築山
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蓬莱島
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蛛道(ささかにのみち)辺りは、水が動かず水面に景色を落とし、
少し遠近感を失う感じを受けた。
(9)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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渡月橋
2枚の大岩を組み合わせた橋。
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巣鴨

お年寄りの原宿と言われている巣鴨だが、
歩いてみると、老若男女と大勢の人で賑わっている。
安くておいしければ、どの時代、世代に関係なく人は集まってくるだろう。

地蔵通商店街
(11)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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とげぬき地蔵尊境内の土産物屋さん。
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とげぬき地蔵も秘仏のため拝観はできない。
「洗い観音」に水をかけ、悪いところを布で拭くとご利益があるという。
(13)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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都電荒川線の庚申塚駅まで歩き、
猿田彦神社に立ち寄ってから帰路についた。
伊勢屋では有名な塩大福、おいもやさん興伸でスイートポテトを買った。
甘党の私には普通の大福の方があっているかも・・・

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東京 深大寺 [仏像]

2009年6月20日

浮岳山 昌楽院 深大寺

武蔵野国、唯一の白鳳仏が鎮座している深大寺を訪ねる。
調布には国府のあった府中市にも隣接し、石器時代からの遺跡も残っている。
以前は武蔵国の中心であり、多くの人々がこの地に住み着いていたことが分かる。
深大寺の建立地は、武蔵野台地の丘陵に差し掛かる場所にあり、
段差を生かし、水を台地に引くための要の地に選んで建てられたのだろう。
水信仰の場合、龍神、十一面観音を奉る例が多いが、
ここでは深沙大王(じんじゃだいおう)を奉っている。
元々はこちらが本尊だったのではないだろうか。
像は秘仏となっており、異形の相をしているそうである。
また、参道前の道には湧水から2本の滝があり、
後世だろうが不動明王の石仏が設置されているのは目黒不動尊と同じである。

深沙大王を奉る深沙堂。
天井にはおそらく龍の絵が描かれていると思われる。
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参道にはたくさんのお土産屋さんが立ち並ぶ。
そのほとんどが蕎麦屋さんだから、蕎麦好きな者にはたまらない。
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最初に文久年間から創業しているという「元祖嶋田屋」で「もり」を食す。
たれが少し甘いが、麺は腰もあり美味しい蕎麦屋のレベルは十分ある。
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深大寺の山門。元禄8(1695)年の建立。
一間薬医門、屋根は切妻造で茅葺である。
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開山堂から薬師如来座像を写す。昭和53年再建。
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銅造釈迦如来倚像(重文)

白鳳時代の銅造による釈迦如来像である。
制作は7世紀末と言われている。
それは天武・持統朝による詔、「諸国に家毎に仏舎を作り~」(天武14年<685>)
が発布された時期であり、地方に造仏が拡がった時と重なっている。

結跏趺坐ではなく、両足を前に投げ出したモデルは珍しい。
左右対称であるが、右足の開きに少し角度があるようである。
同じ白鳳時代を代表する薬師寺の聖観音に比すると、
全体の力強さと繊細さでは、やはり中央と地方の差を感じるが、
新薬師寺の香薬師像、興福寺の夢違菩薩や伝橘夫人念持仏にも似て、
顔はほのかに笑みを浮かべ穏やかで仏師の気は十分に感じる。
眼はかなり長く顔の端まで真直ぐに描く。
また足の衣文線を交互に描き、裳懸座の模様も、
飛鳥時代に比較してかなりおとなしい。
衣文は上から五本は立体感を出すために二本で描かれており、
螺髪はなく、鉈彫りのような削り方を銅で表現している。
また、耳は左右に拡がるのが特徴。
(6)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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梵鐘(重文)
南北朝末期永和2年(1376年)山城守光作の銘が刻まれており、
都内で2番目に古いそうである。
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神代植物公園(じんだいしょくぶつこうえん)

深大寺の裏には広大な植物園があるので立寄る。
たくさんの種類の薔薇が咲いていた。
残念ながら広すぎて半分ほどしか回れなかった。

植物園に残される武蔵野の面影。
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大温室を望む。また建物内での花を写す。
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白い葉は珍しい。葉脈が黒っぽい。
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睡蓮
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色鮮やかな睡蓮。
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最後にもう一軒のお蕎麦屋さんに寄る。
植物園から出たところにあった松葉茶屋のもり蕎麦。
こちらの味の方が好みにあっていたと思う。
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伊勢原市 日向薬師(宝城坊) [仏像]

2009年6月7日

日向薬師(日向山 宝城坊)

通称日向薬師で親しまれているこのお寺は、
霊亀二年(716年)行基が開基した、日向山霊山寺から始まると伝えられる。
栄枯盛衰を経て、今は宝城坊が管理している。
鉈彫りの薬師三尊と四天王、十二神将がセットとして揃い、
時代も平安から鎌倉までの国重文を25も有した、関東では珍しいお寺である。
都の仏師による造仏だと思われているが、
ここ相模の地との関係性は、まだ解明されていないそうである。


伊勢原駅からバスに乗り、終点の日向薬師で降りる。
そこは目の前に山が迫り、谷には小規模ながらも棚田が広がっていた。
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日向薬師へ向かう表参道。
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室生寺、奥の院までの道に似た印象を持つ参道。
土の階段が形を変え、石のように硬くなっており、
円を描く模様が至る所にある。
この土地独特の土の性質によるものだろうか。
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参道の横はご覧の通り杉木立が鬱蒼と林立している。
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本堂(江戸時代初期)
ここにも本尊と十二神将(県重文)が置かれている。
こちらの本尊のことを聞き忘れてしまった・・・
茅葺屋根には草が生えている。
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朱の柱に黒色に塗られた壁は珍しい。
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光明天皇が1339年に大和権守物部光連に命じて作らせた梵鐘(重文)。
宝物殿にある十二神将を勧請した事がこの梵鐘に記載されている。
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「旗かけ杉」樹齢800年で県指定の天然記念物。
梵鐘の屋根と共に。
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虚空蔵菩薩が収められている霊木。
非常に大きい木で、かなり上までうろ状態になっている。
しかも穴も空いているのに未だに生きているのがすごい。
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日向薬師からさらに裏山を登る。
途中に3段ほどの平場が梅林になっており、
とてもよく整備されていた。
さらに苔生した山道が続き、人の足型が形として残る箇所もあった。
(10)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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少し開けた場所からの展望。
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山を降り山門と仁王像に振り返って礼を述べる。
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<宝物殿>

阿弥陀如来坐像
建物に入り左側から回る。
丈六の阿弥陀如来像がどっしりと鎮座している。寄木作りで彫眼である。
やはり大きい仏像は迫力がある。お顔の作りは明らかに平安後期で、
定朝様式を踏襲している。頬の張り具合や少し前かがみになっている側面、
やや薄い胴体を見ても明らかである。印相は平等院と違い上品下生に作られる。
上半身にはかなり金色が残っているため、後補だろうと思ったら、
やはり説明にも記載があった。江戸時代の寛保元年(1741年)に修理されたらしい。
少し右側から膝あたりを見て欲しい。膝から裳の彫りが始まるが、
その衣の柔らかさ、縞模様がまさに生まれんとする瞬間を、
具現化する力は並ではない。

四天王と十二神将
みうらじゅんが褒めていた通り、増長天に踏まれた邪鬼の顔がいい。
顎が左上にグッとゆがみ、私の耳にうめき声が響き渡る。
像自身は全体に右寄りに重心をおき、少しアンバランスな印象。
作り自体はいいのだが、ただ一点、天衣の動きがぎこちない。
獅噛があるのは増長天だけである。

持国天の邪鬼の顔もいいのである。
十二神将も含めて、顔のパーツが中央に寄った造りになっている。
ただし、この持国天だけ眼が離れており仲間はずれの感がある。
また下半身は幾重にも鎧と裳が重なり合い、重量感を醸し出している。
ただしこちらも増長天と同じく、天衣の動きが本当に残念である。

十二神将はほぼ等身大の大きさであり、
これらが一式に揃っている姿は迫力がある。
しかしながら、ほとんどの像に持物が無いのが残念。
炎髪が4本立ち上がっている像が幾つもあるが、
まるでこの仏師のサイン、ロゴマークのように思えた。
一番のお気に入りは、ハイラ君(波夷羅)であった。
左目を瞑り、手に持った弓で照準を合わせているのがいい。

薬師三尊像

月光菩薩立像
左に月光(271cm)、右に日光菩薩(283cm)が置かれる。
頭部は前後に二材、体部は前後左右の四材。
腕、肩、肘、手首は別材。鎌倉前期の作。
両菩薩像とも、薬師寺像のようにかなり足先を開いている。
月光菩薩像は神護寺の薬師如来のように口をゆがめている。
何かに失敗した時に見せる表情のようだ。
個人的にはシンメトリーの顔よりも、左右非対称に作られた顔に、
興味を覚える。
宝髻は短めで、裳の彫りはとても丁寧に彫られている。
右足を曲げた姿もS字型で美しい。
特に足元の裳の彫りが柔らかく造作されている。

薬師如来坐像
薬師坐像は印相と眼に特徴がある。
印相は右手の指す指がしなやかで薬指の傾け方がいい具合である。
目尻はきゅっと端に上げており、精神を集中している様子が見て取れる。
面相は阿弥陀如来に比べて頬の張りは無く、
翻波式衣文の彫りは深くも無く、浅くもない
この像も丈六仏で寄木造であるが、
組み方が平安時代の古い技法が使われているということである。
時代は平安末から鎌倉初期と推定されている。

日光菩薩立像
日光菩薩像はまず、指先の繊細さに目を奪われる。
体全体を右(特に腰)に傾けており、確かにモデルのようでもある。
こちらも足先を開く。顔はシンメトリーである。
彫眼だが少し飛鳥時代の杏仁形が入っているように見えた。
この像は天衣の掛け方が素晴らしい。
手首と肘の中間あたりに掛かった天衣が、
今にもずれそうで、その力学上の駆け引きが見える。
アンヴィバレンツな不安感を与える快感がある。
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鎌倉 薬王寺、浄光明寺、寿福寺 [仏像]

2009年5月23日

浄光明寺の阿弥陀三尊を訪ねるため鎌倉に向かう。
鎌倉駅西口から北に向かって歩き出す。
寿福寺を超えて、横須賀線の踏切を渡り扇川沿いに歩いていると、
浄光明寺へ曲がる道を過ぎて、さらに北へいってしまった。
その先の案内板は薬王寺を記していたので、まずはここに向かうことにした。

大乗山 薬王寺

岩船地蔵堂を右に折れ、少し行くと左側に石塔が見え、
さらに奥には、寺へ向かう階段が見える。
上ると境内は誰もおらず、工事の音が響いていた。
境内の左には、さらに山に向かう階段が続いており、
上には小振りな御堂が建っている。

階段途中から本堂屋根を望む
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観音堂は僅かに扉が開いており、暗がりの中に観世音菩薩像が見える。
江戸時代だろうか。まだ金箔も残っており像高は160cm前後。
モデリングも一般的な観音像で、特に目立った特長は無かったが、
眼力はある。右足を少し前に出し膝を曲げている。

観音堂の裏にやぐらがあり、釈迦如来と四菩薩の石仏がある。
右側の二菩薩。溶けているように見えて不思議な形になっている。
顔は角度によって表情があるようにも見える。
(2)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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岩船地蔵の屋根
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泉谷山 浄光明寺

創建は建長三年(1251)で、開基は(幕府第六代執権)北条長時、
開山は真聖国師真阿である。当初は持戒念仏の寺であったが、
今は京都泉涌寺派の古義真言宗寺院となっている。

足利尊氏と弟の直義の保護も篤く、位牌も今に伝えられているとのこと。
室町時代にかけて繁栄を築き上げていったが、
その後は足利氏と栄枯盛衰を共にし、衰微していったそうである。
「浄光明寺敷地絵図」を見せてもらうと、
ほとんどの寺域が宅地に変わっていったことが分かる。

境内は谷戸の平場に主要伽藍が建ち、その奥を二段に切り開いており、
一段上に阿弥陀堂、収蔵庫など4つの建物が立ち並び、
周りにはやぐらと石仏が置かれている。

崩れ落ちた石塔と石仏
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石仏の三尊像。
(6)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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収蔵庫には阿弥陀三尊像が保管されている。
意外と大きい三尊像である。左側には矢拾地蔵が厨子の中に立つ。
この阿弥陀像は、一度も寺から出したことがないらしい。
左から勢至菩薩、阿弥陀如来、観音菩薩で檜の寄木造で玉眼である。

説明によると、鎌倉中期にあたる1299年に作られたことが、
調査の際に願文が出てきて判明したそうである。
残念なのは、仏師の名前が虫食いで判明していないことである。
不思議なことに阿弥陀仏にもかかわらず宝冠をかぶっている。
釘などで止められているわけでもなく、被せてあるだけだという。
寺の宗旨も真言宗になったことで(大日如来に見せる?)、
誰かが置いた時にそのままになったのではないかと思われる。

造仏が鎌倉中期ということもあり、
この時代は宋との貿易が盛んになり、
六浦からかなりの文物が輸入されただろう。
その影響もあってか、仏像にも宋風の影響があるという。
が、私には宋風とは何かが分からない。
影響としては天平時代を模倣した定朝様式とでもいえばいいだろうか。
両脇持の傾き、表情にそれらを感じた。
さらに右の観音は秋篠寺の技芸天にニュアンスが似ていた。

鎌倉には七体の土紋模様の仏像があるらしい。
その中でも最大の模様が、この阿弥陀如来にはあるとのこと。
この模様が湿気に弱いらしく、雨の日の拝観をやめている理由とのこと。
前回の覚園寺で土の模様の話をしていたが、あの「鞘阿弥陀」も、
土紋模様について話をしていたのかもしれない。

上の平場へ向かう入り口
(7)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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さらにこの階段を登ると小さな平場にでる。
「間」とも呼べる愛らしい空間である。
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平場からの景色。海まで望める。(写真はズーム使用)
実際はもっと両サイドに開けた景色です。
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石造地蔵菩薩坐像(綱引地蔵)が坐すやぐら。
(10)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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平場の上には冷泉為相の墓がある。
これは登ってきた階段を上から写したもの。風が心地よかった。
(11)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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亀谷山 寿福寺

鎌倉五山第三位で北条政子の墓などでも有名。
中門から先へは進めない。本堂を望むだけである。

その本堂を望む。
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趣のある参道。
(13)EF50mm F1.8 II
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