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伊勢原市 日向薬師(宝城坊) [仏像]

2009年6月7日

日向薬師(日向山 宝城坊)

通称日向薬師で親しまれているこのお寺は、
霊亀二年(716年)行基が開基した、日向山霊山寺から始まると伝えられる。
栄枯盛衰を経て、今は宝城坊が管理している。
鉈彫りの薬師三尊と四天王、十二神将がセットとして揃い、
時代も平安から鎌倉までの国重文を25も有した、関東では珍しいお寺である。
都の仏師による造仏だと思われているが、
ここ相模の地との関係性は、まだ解明されていないそうである。


伊勢原駅からバスに乗り、終点の日向薬師で降りる。
そこは目の前に山が迫り、谷には小規模ながらも棚田が広がっていた。
(1)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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日向薬師へ向かう表参道。
(2)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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室生寺、奥の院までの道に似た印象を持つ参道。
土の階段が形を変え、石のように硬くなっており、
円を描く模様が至る所にある。
この土地独特の土の性質によるものだろうか。
(3)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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参道の横はご覧の通り杉木立が鬱蒼と林立している。
(4)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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本堂(江戸時代初期)
ここにも本尊と十二神将(県重文)が置かれている。
こちらの本尊のことを聞き忘れてしまった・・・
茅葺屋根には草が生えている。
(5)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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朱の柱に黒色に塗られた壁は珍しい。
(6)EF80-200mm F4.5-5.6
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光明天皇が1339年に大和権守物部光連に命じて作らせた梵鐘(重文)。
宝物殿にある十二神将を勧請した事がこの梵鐘に記載されている。
(7)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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「旗かけ杉」樹齢800年で県指定の天然記念物。
梵鐘の屋根と共に。
(8)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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虚空蔵菩薩が収められている霊木。
非常に大きい木で、かなり上までうろ状態になっている。
しかも穴も空いているのに未だに生きているのがすごい。
(9)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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日向薬師からさらに裏山を登る。
途中に3段ほどの平場が梅林になっており、
とてもよく整備されていた。
さらに苔生した山道が続き、人の足型が形として残る箇所もあった。
(10)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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少し開けた場所からの展望。
(11)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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山を降り山門と仁王像に振り返って礼を述べる。
(12)EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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<宝物殿>

阿弥陀如来坐像
建物に入り左側から回る。
丈六の阿弥陀如来像がどっしりと鎮座している。寄木作りで彫眼である。
やはり大きい仏像は迫力がある。お顔の作りは明らかに平安後期で、
定朝様式を踏襲している。頬の張り具合や少し前かがみになっている側面、
やや薄い胴体を見ても明らかである。印相は平等院と違い上品下生に作られる。
上半身にはかなり金色が残っているため、後補だろうと思ったら、
やはり説明にも記載があった。江戸時代の寛保元年(1741年)に修理されたらしい。
少し右側から膝あたりを見て欲しい。膝から裳の彫りが始まるが、
その衣の柔らかさ、縞模様がまさに生まれんとする瞬間を、
具現化する力は並ではない。

四天王と十二神将
みうらじゅんが褒めていた通り、増長天に踏まれた邪鬼の顔がいい。
顎が左上にグッとゆがみ、私の耳にうめき声が響き渡る。
像自身は全体に右寄りに重心をおき、少しアンバランスな印象。
作り自体はいいのだが、ただ一点、天衣の動きがぎこちない。
獅噛があるのは増長天だけである。

持国天の邪鬼の顔もいいのである。
十二神将も含めて、顔のパーツが中央に寄った造りになっている。
ただし、この持国天だけ眼が離れており仲間はずれの感がある。
また下半身は幾重にも鎧と裳が重なり合い、重量感を醸し出している。
ただしこちらも増長天と同じく、天衣の動きが本当に残念である。

十二神将はほぼ等身大の大きさであり、
これらが一式に揃っている姿は迫力がある。
しかしながら、ほとんどの像に持物が無いのが残念。
炎髪が4本立ち上がっている像が幾つもあるが、
まるでこの仏師のサイン、ロゴマークのように思えた。
一番のお気に入りは、ハイラ君(波夷羅)であった。
左目を瞑り、手に持った弓で照準を合わせているのがいい。

薬師三尊像

月光菩薩立像
左に月光(271cm)、右に日光菩薩(283cm)が置かれる。
頭部は前後に二材、体部は前後左右の四材。
腕、肩、肘、手首は別材。鎌倉前期の作。
両菩薩像とも、薬師寺像のようにかなり足先を開いている。
月光菩薩像は神護寺の薬師如来のように口をゆがめている。
何かに失敗した時に見せる表情のようだ。
個人的にはシンメトリーの顔よりも、左右非対称に作られた顔に、
興味を覚える。
宝髻は短めで、裳の彫りはとても丁寧に彫られている。
右足を曲げた姿もS字型で美しい。
特に足元の裳の彫りが柔らかく造作されている。

薬師如来坐像
薬師坐像は印相と眼に特徴がある。
印相は右手の指す指がしなやかで薬指の傾け方がいい具合である。
目尻はきゅっと端に上げており、精神を集中している様子が見て取れる。
面相は阿弥陀如来に比べて頬の張りは無く、
翻波式衣文の彫りは深くも無く、浅くもない
この像も丈六仏で寄木造であるが、
組み方が平安時代の古い技法が使われているということである。
時代は平安末から鎌倉初期と推定されている。

日光菩薩立像
日光菩薩像はまず、指先の繊細さに目を奪われる。
体全体を右(特に腰)に傾けており、確かにモデルのようでもある。
こちらも足先を開く。顔はシンメトリーである。
彫眼だが少し飛鳥時代の杏仁形が入っているように見えた。
この像は天衣の掛け方が素晴らしい。
手首と肘の中間あたりに掛かった天衣が、
今にもずれそうで、その力学上の駆け引きが見える。
アンヴィバレンツな不安感を与える快感がある。
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