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静岡 願成就院、成福寺、北条寺 [仏像]

2011年5月7日(土)

伊豆の国市

(1)EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM
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09年9月に横須賀の浄楽寺を訪ねた後に、
すぐに「伊豆の願成就院へ行こう、運慶の制作時期が近いものを比較したい」
と思って調べると、願成就院の本堂修理で09年中は拝観不可とのこと!
その時の勢いが失せてしまい「またいつか」と諦めてから2年が経ってしまった・・・

そして今年の4月頃からtwitterで知り会えた、
仏像大好きな方々によるGW中の活動報告が、次々にTL上に表れるにつれ、
どうしようもなく気持ちがソワソワしてきてしまい、
一番会いたいと思っていた、願成就院に行くぞ!と、
勢いに任せて、横浜9時24分発の伊豆踊り子号に乗り込んでしまった

いつもGWはキャンプ、ハイキングに見仏を組合わせて滋賀県に行っていたが、
今年から無くなったので、どうしようかな~と悩んではいたけれど。
なので今回は本当に衝動的で何のプランも無く、
その後のことは伊豆長岡駅に着いてから考えようと。

10時56分、伊豆長岡駅に到着。
で、考えるはずが、何も考えずに願成就院に向かって歩き出す。止まらない・・・
寄るはずだった真珠院も気付かず通り過ぎ、気付いても戻れず、
願成就院の看板を見つけて、そのまま門をくぐってしまった。

(2)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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高野山真言宗 願成就院

お寺のすぐ裏には守山という小さな山が控えており、
山の反対側に伊豆半島の中でも大きな狩野川が流れている。
繁栄した当時には、麓にも山中にも伽藍があったのだろうと想像させる。

(3)EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM
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拝観者は私一人。
和尚さん自らお寺の創建、仏像についてお話をして下さった。

願成就院は県内でも名刹の一つで、
頼朝、時政による奥州征伐の戦勝を祈願して建立され、
その後の戦乱で荒廃したとのこと。
仏像に関しては、当初は阿弥陀三尊で観音と勢至菩薩のニ体は失われ、
現存するのは五体のみと言う事と、制作年、運慶が35歳頃の作品、
江戸時代に修理されている、印相が不明な事などを丁寧に説明して下さった。

<阿弥陀如来像>重文

正直、自宅で写真を眺めていた時や、この収蔵庫に入った時でさえも、
真っ先に両脇侍像に目がいき、ご本尊にはそれほど興味がなかったのである。
しかし全てを見終わった後に、改めてこの阿弥陀仏と向き合っていると、
すっと心に入ってきたのには驚いた。
その途端に、あのふっくらした頬と若干中央によったおっさん顔(失礼!)が、
とても安らかな寝顔をした赤ちゃんの顔に見えたのである!

阿弥陀坐像は寄木造、彫眼、漆箔で高さは143.5cm。
元は玉眼だったらしい。
だから運慶制作当初と今では、かなり印象が違うものになっているかもしれない。
ただ運慶後期の制作では、如来は彫眼のみになっているようなので、
私としては後補としてもこの仕上げは悪くないと思えた。
全体の特徴はがっしりした体躯、頬の膨らみと、衣紋の彫りの3点だろう。
結跏趺坐の姿勢をしているが、像の位置が少々上にあるため、
膝上あたりの彫りが良く見えないのがとても残念だった。

見える範囲で特徴的だと感じたのは、左腕の袖部分が裳掛まで垂れた、
天衣のような納衣のデザイン、処理である。
この太い2枚の帯筋が、右足の緩やかなカーブに刻まれた深い彫りの裳から、
この帯に沿って一度奥までもっていき、
渦巻き方向への強い流れをさらに加速させる効果を生み出し、
右足の急激な彫りの流れを生み出すようにデザインしたものと思われる。
まるで阿弥陀世界の風を巻き起こしているかのようだ。
それは六波羅蜜寺にある、地蔵菩薩と処理と類似しているとも思った。

<毘沙門天像>重文

「お見事!以上!」

としかいいようが無い造形だと思う。
背中の筋肉、どっしりとした重量感、まるで中身があるかのような造形。
でありながら、鎧の一分まで隙のない丁寧な仕上げ。
しいて不服を述べれれば、靴が全体に比べてもう少し大きくても良かったのでは?
と、邪気にもう少し特徴があっても良かったのでは?の幼稚な意見の2点である。
運慶の毘沙門天はここに完成したと言っていいと思う。

<不動明王像>重文

美しい。
浄楽寺の不動明王と違い、各個のバランスは完璧と言っていい。
手の膨らみに運慶仏の特徴の一つがあると思っているが、
この不動明王も毘沙門天もふくよかな手をしている。
また、同じような巻髪をしている不動明王があるが、
こいつはなんて全体のバランスがいいんだろう、処理がきれいなんだろうと
思うほどまとまっている。(まとまり過ぎの感もあるが)

「運動」に注目すると、両足を広げた間に広がる裳の、
その中央下に向かう力である。この垂下する力、大地へ密着する力こそ、
この不動明王の根源力と見た。

<制多迦童子像><矜羯羅童子像>重文

言いたいことは幾つもあるが、
間違いなく「八大童子の原型」を見た気がする、
ということである。

個人的な運慶仏の楽しみは、
何かアンバランスさを潜ませていることだと思っている。
浄楽寺では不動明王の腕と手など。
今回は、阿弥陀仏をはさんで、
毘沙門天と不動明王動が左右対称にあることに注目してみると、
毘沙門天はどっしりとして遠くを見ており、
不動明王は力を集中し近くを見ている。
「阿弥陀仏」と「毘沙門天+不動明王」の対比でみると、
この2体はリアルで現実。阿弥陀仏は少し現世から少し乖離しているなど。
まあ、勝手な思い込みではあるのだが・・・。
意外と、運慶の造仏におけるポリシーはアンヴィバレンツではなかったかと、
想像してみるのも楽しいものである。


晴雲山 成福寺(真宗大谷派)

元寇の役に対応した執権、北条時宗。その子息である正宗が建立した寺と伝わる。
本尊は阿弥陀如来像である。

(4)EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM
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<阿弥陀如来立像>

(5)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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寄木造、漆箔の鎌倉時代の像である。
後世に彩色されたため、全体は真新しい印象を受ける。
典型的な与願印である。お顔も綺麗な顔立ちをしており、
鎌倉時代というよりも、平安期の京都のお寺に置かれていてもおかしくない。
それほど中央の仏師が造った香りがする。
指先もとても丁寧に作られており、恐らくこれは院派の系統だろうと思う。


北條寺(臨済宗建長寺派)

ここは拝観のためには電話予約が必須のお寺である。
この日はご住職もたまたまご在宅で、突然お訪ねしたにも関わらず、
快く拝観を受け入れてくれました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。

(6)EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM
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和尚さんのお話によれば、狩野川はあばれ川で、
平野のあちこちに流れを変えて、氾濫を繰り返していたらしい。
頼朝が流された蛭ヶ島も、今は普通の陸地だが、
当時は河州の中にあったであろう事、
そして川向こうにあった北条館と北条寺は陸続きだったそうである。

<阿弥陀如来坐像>県文化財

(7)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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桧材による寄木造、玉眼、像高66.7cm。
寺伝によれば、運慶が3年の月日をかけて制作されたとあり、
その仕上がりは金泥細金の彩色だったそうである。
確かにこれは慶派と思わせる仏像である。
どうも私は裳の動きに捕らわれるらしい。
この阿弥陀の湾曲具合もなかなか素晴らしい物がある。
願成就院の阿弥陀仏とは処理が違うが、左手の裾から伸びた法衣の処理が、
幾重にも重ね、左足の裳掛と同化している。
また、他の阿弥陀仏と同じ処理なのだが、白毫と肉髻珠が同じ素材?なのか、
やけに目立って、ウルトラビームの出口?が2つあるような、
ちょっと違和感を感じた。

<観世音菩薩坐像>

(8)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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桂材の寄木造、黒漆、玉眼、像高47.7cm。南北朝時代。
一目見た瞬間に「水月観音だ!」と心のなかで叫んでしまった。
確かに宝冠など付けていないし、全くの別物ではあるがなぜかそう感じてしまった。
細かく見ると、左足の太さが少しバランスを欠く気もするが、
お顔は秀麗で美しい。宝髻を高く結んでおり、裳掛もボリュームがある。
なぜか、右手が見えない造りである。腰脇に下ろしているそうであるが、
手からの慈悲が大事な仏像で、手を表に見せないのは珍しいのではないだろうか?

北条寺の庭にて
(9)EF-S60mm F2.8 マクロ USM
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